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笙野頼子

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文芸誌に目を通すことはほとんどありませんが、
「特集 笙野頼子」「書き下ろし短編『母の発達 濁音編』」
という表紙に「おぉ!」と思い、現在発売中の『文藝』冬号を
買いました。

 私が笙野さんの作品のうちまともに読んでいるのは、
『母の発達』(河出文庫)だけなのですが、彼女の世界観や
言語感覚には大いに興味をもっております。
 
  『母の発達』は、「母性本能」や「母の愛」などという
 硬直した枠組みをあざ笑うかのように、主人公(作者が
 かなり投影されているようです)の母が小さく(物理的に)
 なり、増殖し、音頭を踊るという、悪夢のような、^^;
 ファンタジーのような作品です。
  「あいうえおの母」として、50通りの母親が登場するという
 設定にも、感嘆しました。

  笙野さんが嫌悪するのは、「固定された役割」
 「多様性を認めない偏狭さ」「ネオリベ的言説」
 だと思います。

  「母の発達 濁音編」にも、それが表れています。

  「見てみい、お前がこれから帰る地上がどんなことになったか。
   作者が放置した濁音の母を選定する行為は今利権化され、
   ひどいことになっておる。お前はただ濁音をとりかえせばいいと
   いうものやない。つまり、濁音をどうしたところでそれを一切
   無力化収奪するような制度がもう出来ているからや。連中は
   何をしても黙殺し押し退ける。ロジックも公共性ももうどこにもない。
   それが濁音の母制定委員会や。今からお前はこの癒着と無責任と
   大組織の維持力に翻弄されるのや」(『文藝』77頁)  
  
   「また全体主義と戦う母は多様的な文化を『少数ファシズム』と
    呼ぶことで全滅させた。全体主義の母は全滅の母でもあったのである」(80頁)
   
   この的確辛辣な「笙野節」が、私は好きです。 

    
   また、中原昌也さんの質問(自分[中原さん]が小説を書き続ける理由は何か?という
トリッキーな質問)に対する、次のような回答もすばらしい!

    「理由なんかない、そうだ。ないんだよ。
     だって『僕が文学を』やり続けるんじゃない。
     文学が君をやり続けるだけなんだから」(25頁)     
    
   
by kase551 | 2007-10-23 23:03 | | Trackback | Comments(0)
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