太平洋戦争当時、「シンガポール陥落」という文章を
書いた志賀直哉は、敗戦後、フランス語を「国語」に
すべきであると主張した。
日本の昔話を下敷きにして、人間社会のおかしさ・
不条理・苦さ・せつなさを描いた傑作連作『お伽草子』を
敗戦直前に執筆した太宰治は、「桃太郎」をベースにした
作品を書かなかった。
「鬼畜米英」というお題目が唱えられる時代に「鬼退治物語」
を避けた理由を、太宰は次のように述べている。
「この詩の平明闊達の気分を、いまさら、いじくり廻すのは、日本に対してすまぬ」
これが韜晦であることは、明らかだ。
志賀と太宰。
文筆家としてどちらが誠実であったかは、言うまでもない。