運がよければあと数十年後、運が悪ければ明日にでも、
私は死にます。
死んだ後の始末について、遺書として文書化しようと
思いつつ、まだ書いておりません。
葬式なし、戒名なし、墓なしというのが、私の希望です。
そして、できるならば、遺体はチベットかネパールの
真っ青な空の下で鳥葬に・・・・
私の肉体は鳥と一体化し、空高く舞い上がる・・・・
これを想像すると、つい微笑んでしまいます。
火あぶりにされて、骨をいじられるのは、まっぴらごめんです。
しかし、私の死体を飛行機でチベットまで運ぶわけにも
いかないでしょうね。
鳥葬は、ちょっと無理かもしれません。
まあ、勝手に戒名をつけられたり、墓に収められたりすること
だけは、避けたいものです。
おそらく、靖国神社の「英霊」たちの中にも、
「勝手に『英霊』にまつり上げるなよ。俺は迷惑じゃ!」と
思っている「霊」たちが、数多くいるのでしょうね。
また、「俺らのように『赤紙』一枚で徴兵され、使い捨てに
された人間と、無謀な戦争の音頭とりをした指導者たちを
一緒に扱うな!」と思っている「霊」も少なくないでしょう。
靖国には、そういう怨念も渦巻いていることでしょう。
次回東京に行く折には、ぜひ見学に行きたいものです。