人気ブログランキング |

避けられたはず

 1945年4月から始まる沖縄戦。
 「捨て石」にされた沖縄と琉球(沖縄)人。

 「もう一度戦果を挙げてから・・・」
 などと言わずに、戦争終結に向けて
本気で動いていたならば、沖縄の悲劇も、
広島・長崎の悲劇も避けられたはずだと、
私は考えている。
by kase551 | 2011-06-23 23:59 | 沖縄 | Trackback | Comments(9)
トラックバックURL : https://kaseyan.exblog.jp/tb/16513769
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
Commented by zyakuhaimono at 2011-06-25 13:09 x
初めまして。戦争を知らない現代っ子の者です。
あの戦争について、戦争を始めた日本も、また原爆を落としたアメリカもどちらも悪いと思います。

しかし、今回は「善」・「悪」ではなく「避けられた」・「避けられなかった」の二点に絞ってコメントします。

昭和天皇が「もう一度戦果を挙げてから」と言ったのは「近衛上奏文」の件だと思いますが、それは日本が敗戦濃厚だったからこそ言った言葉だと思います。
なぜなら、敗戦濃厚の国が出す条件など勝利間際の国が呑んでくれるはずがないからです。

白旗を振れば良かったというのであれば、それも違うかと思います。
時代は植民地時代。白人対有色人種の時代です。もちろんそのリーダーが日本だったとは思っていません。
しかし、その有色人種の国の日本が白旗を振るということは「どうぞ私の国を好きなようにして下さい。私の国民を奴隷にでも何にでもして下さい。」というメッセージを送ることと当時は同じ意味になってしまう恐れがあるので、それは日本の政府としては絶対にできないことだと思います。
Commented by zyakuhaimono at 2011-06-25 13:10 x
もし、白鳩を振っていたら戦争は終わっていたかもしれませんが、後の連合国の日本国民の扱い次第では、「政府は自分たちの命と引き替えに、日本国民を売った。」と言われかねない自体になっていたと思います。

ですから、あの戦争の終戦時期についてはポツダム宣言が連合国側から日本側に通告された7月26日以降から議論されるべきです。

そのような点から沖縄戦は決して「捨て石」ではなく、また「避けられなかった」と思います。
Commented by kase551 at 2011-06-25 14:50
はじめまして。
日本が連合国に降伏することが、「どうぞ私の国を好きなようにして下さい。私の国民を奴隷にでも何にでもして下さい。」というメッセージを送ることになるという考えに、到底納得できません。
 有色人種に対する白人の偏見・差別意識は現在でも消えていませんが、当時であっても、国際法上、戦勝国側が敗戦国側を「好きなように」「奴隷にでも何にでも」できるはずはありません。「日本が負けたら男は殺され、女は強姦される」という考え方は、中国で日本軍がしてきたことを念頭においてのものだったらしいですね。
 白人対有色人種という対立軸が存在することは確かですが、日本は同じ有色人種が住む朝鮮を植民地化し、中国を支配しようとしていました。
Commented by kase551 at 2011-06-25 14:56
それはさておき、繰り返しますが、私は日本の連合国への降伏が、
「どうぞ私の国を好きなようにして下さい。私の国民を奴隷にでも何にでもして下さい。」
というメッセージを送るものだったとは考えられませんので、1944年のレイテ海戦での
大敗あたりで、指導者たちが戦争終結を考えはじめることができたならば、1945年4月までに
戦争は終わっていた(もちろん敗戦・降伏ですが)と思います。
 ゆえに、沖縄戦は避けられたし、多くの犠牲者を出すこともなかったと考えます。
 やはり沖縄は、「本土決戦」のための捨て石にされたと思います。
 
Commented by zyakuhaimono at 2011-06-25 18:18 x
お返事ありがとうございます。

「どうぞ私の国を好きなようにして下さい。私の国民を奴隷にでも何にでもして下さい。」というメッセージにはならないとのことですが、
ではなぜポツダム宣言を受け入れた日本は憲法を改正させられなければならなかったのでしょうか?

ポツダム宣言には「日本国国民が自由に表明した意志による平和的傾向の責任ある政府の樹立。(Wikipediaより)」と書かれてありますが、日本国側が示した松本案は連合国側によって拒否されています。国にとって憲法とは重要な柱の1つですから他の国によって書き替えられることは当時の国際法でも違反とされていました。

しかし、連合国側はポツダム宣言どころか、国際法まで無視した行動をいとも簡単にとっています。

ですから、ポツダム宣言という条件があってもこれなので、もし何も条件なく降伏していたらもっとひどい状態(奴隷等)になっていた可能性は否定できないと思います。
Commented by zyakuhaimono at 2011-06-25 18:19 x
結果的に植民地時代は終わりましたが、もしあっさりと日本が降伏していたらそれこそ世界はどうなっていたかは分かりません。

それを日本国側を悪く見るか、連合国側を悪く見るかは個人の自由ですが、連合国側を良く見て、日本国側を悪く見る(いわゆる自虐史観的な)見方は私には理解できません。

なぜあの戦争が無くても、またあっさり降伏していても、孫の世代である自分達は豊かにそして平和に暮らせていたと思うのでしょうか?
Commented by kase551 at 2011-06-25 20:07
 わたしは「憲法押し付け論」について、ここで論議する時間も意思もありません。
 戦争を早期終結していれば、沖縄戦の悲劇はさけられたはずだ、と言っているだけです。
 「奴隷」という妄想にもお付き合いできかねますので、この辺で。
Commented by at 2011-06-27 16:42 x
昭和16年(1941年)の夏、「総力戦研究所」が開かれました。
これは「ABCD包囲網」という経済封鎖に遭った日本が、
その打開策としてアメリカとの戦争を前提に、
兵員や鉄、石油備蓄など基準にした会議なのですが、
この研究結果としては「日本の必敗」と結論付けられました。
この報告は、当時の東条英機も知っていました。
それを承知の上で同年の12月「真珠湾攻撃」に至っています。
つまり初めから「負ける戦争」を始めてしまった日本。
そんな定義が存在するのではないでしょうか。

私が長崎で出会った被爆者のご婦人は、
“東京大空襲で雌雄は決していたのに…“と語ってくれました。

日本とアメリカの戦争で、
アメリカは日本の首都・東京を何度も空爆。
それに対して日本がアメリカ本土を襲ったのは、
西海岸に到着した数個の「風船爆弾」のみ。
これは当時の軍部も判っていたのではないでしょうか。
本来、戦争とは唯物論(兵員、軍事力を基にした)に行うべきなのですが、
その劣った部分を観念論で推し進めてしまった悲劇。

沖縄然り、広島・長崎然り、「捨て石」となったのでは。
三個目の原爆が落とされるならば、それは何処だったのか。
Commented by kase551 at 2011-06-27 22:44
 たしか山本五十六が日米開戦前に、「一年くらいは暴れてみせるが、あとはわからない」という意味の発言をしたらしいですね。
 順さんがおっしゃるとおり、唯物論で考えるべきものを、
観念論・精神論で推し進めた結果は、あまりにも悲惨・無残でした。
 
 「風船爆弾」を作らされたかつての女学生たちのエピソード(http://www.saitama-np.co.jp/main/rensai/kyouiku/fusenbakudan/06.html)などからも、多くのことを考えさせられます。


<< 「琉球処分」から「癒しの島」まで これからの一週間 >>