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金賛丁『関釜連絡船』再読

 関釜連絡船に関する文章を書くことになり、
金賛丁(キム チャンジョン)『関釜連絡船』(朝日新聞社)を再読する。
 
 この本を買ったのは、たしか1990年ごろだった。
 当時貼り付けた付箋は、「産米増殖計画」によって日本に移出される
米穀類が増大する一方で、朝鮮人一人当たりの米穀消費量が減少したという
事実を示している。


 今回再読して「お~、そうやったんか!」
と感じたのは、連絡船の船名の変遷だ。
 これまでこれをあまり意識していなかった自分の鈍感さを反省する。

 航路開設当初(1905年)に就航した「壱岐丸」と「対馬丸」から、
「日韓併合」の3年後(1913年)に完工・投入された高麗丸と新羅丸、
そして景福丸と徳寿丸(1922年)、昌慶丸(1923年)という船名の変遷には、
日本が朝鮮を植民地支配し、独立運動(1919年)を鎮圧し、景福宮・徳寿宮・昌慶宮などの
朝鮮王朝時代の宮殿を完全に掌握していく流れがうかがえる。

 そして満州事変・日中戦争の勃発と、日本の大陸侵略の本格化・長期化は、
関釜航路の乗客と輸送物資の増加に拍車をかけ、さらなる大型船である
金剛丸(1936年)と興安丸(1937年)、天山丸(1942年)と崑崙丸(1943年)
の就航へと続いていく。
 
 朝鮮の金剛山から、「満州」の興安嶺(現在の中国黒龍江省所在)、
そして現在のキルギスから中国ウイグル自治区にまたがる天山山脈、
現ウイグル自治区とチベットを隔てる崑崙山脈へ・・・

 就航の翌年から国営化された関釜連絡船の運営者が、どのような思いを
込めてこれらの船名をつけたかは、明らかやね。


いやぁ~、じっくり再読して、あらためて勉強になりました。
 金賛丁さんに感謝!  
by kase551 | 2010-02-20 22:56 | | Trackback | Comments(0)
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