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体罰雑感

 「あの時、先生は泣きながら殴っていた(感涙)」と、
体罰体験を振り返る人の陰には、
「泣きながら殴るなら、はじめから殴るなよ!自分に酔うな、暴力教師が!」と
憤っている人たちが、少なからからずいるだろうと、私は想像している。
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by kase551 | 2013-01-31 23:30 | 社会 | Trackback | Comments(0)

恥ずかしい国

 日本政府が敗戦直後、
国営の「慰安所」を設置してもてなした占領国・米国から
「慰安婦問題」で責められる日本。

 これほど「恥ずかしい国」はないと思うけど、
安倍首相はどう思うんやろ?
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by kase551 | 2013-01-30 23:27 | 戦後処理 | Trackback | Comments(0)

そんなもん要らん

 天王寺公園を有料化してオッチャンたちを締め出して、美術館を閉鎖する。
 そして、でっかい商業施設建設。

 ホンマ、天王寺をしょーむない街にせんといてぇなぁ・・・・
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by kase551 | 2013-01-29 23:24 | 雑感 | Trackback | Comments(0)

感嘆

 今日の毎日新聞夕刊に掲載されている
黒田夏子さんの「芥川賞に選ばれて―『龍之介は好きですか』」。

 このひと、文章うまいなぁ・・・
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by kase551 | 2013-01-28 23:22 | | Trackback | Comments(0)

日馬富士全勝優勝

 日馬富士が全勝優勝。
 
 いやぁ~、ようやったねぇ。
 先場所終了後の「横綱審議委員」たちの妄言を実力ではねかえしたね。

 「横綱審議委員会」というものこそ、そのありかたを再考すべきやろね。http://kaseyan.exblog.jp/18523431/

 相撲は、伝統芸能という要素と格闘技という要素を併せ持っているが
いくら「芸」があっても格闘家として弱ければ引退しかない。

 「横綱審議委員」には、なんらかの格闘技か武道をある程度経験した人間を任用すべし。
 格闘経験もないくせに「品格」とか、訳わからんことをほざくヤツは要らない。
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by kase551 | 2013-01-27 23:19 | スポーツ | Trackback | Comments(0)

文科省へのコメント

 「『全ての意志ある高校生等が安心して勉学に打ち込める社会をつくるため』の
『就学支援金』の支給対象から朝鮮高校の生徒を排除することは明らかな差別です。
(中略)。朝鮮高校の生徒たちに『就学支援金』の支給を!」と
文科省http://bit.ly/TKcAn4 にコメントを再送する。
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by kase551 | 2013-01-26 23:17 | 「在日」 | Trackback | Comments(0)

ネットは匿名ではない

 ネット上の名誉棄損などの犯罪は
被害者が刑事告訴手続きをすれば、
容疑者の氏名・住所などすぐ判明する。

 福岡の友人は、某掲示板における
民族差別発言に対する刑事告訴手続きを進めていたが
警察からの「関東地方在住の容疑者が謝罪している」
との通知を受け、告訴を保留した。

 当然、ネット≠匿名。
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by kase551 | 2013-01-25 23:20 | 社会 | Trackback | Comments(0)

体罰

 「愛情を込めて泣きながら」ならば
「体罰」が許されるという論理は
はじめから破たんしている。

 そんな「愛情」や「涙」は要らない。
 単なる自己満足・自己陶酔。
 ホンマ迷惑。
 

 「愛情をこめて泣いて」いれば免罪されるんやったら
明日やってみよう。
 行きつけの店への「愛情をこめて」品物を奪い取り、
抵抗する店員を泣きながら殴りながら言おう。
 「俺はこの店をホンマ好きやねん!
この店の品物もあんたも好きやねん!
せやからわかれよ!俺の愛情と泪を!」
と言おう。

 即逮捕。
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by kase551 | 2013-01-24 23:16 | 社会 | Trackback | Comments(0)

岸恵子さん

 アルジェリアや南太平洋で
核実験をやりたい放題だった
「おフランス」に異議を提示せず、
石原慎太郎原作の
「僕は君のためにこそ死ににいく」という
トンデモ映画に出演した岸恵子さんも嫌いだが
岸さんをもてはやす朝日新聞社も嫌い。
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by kase551 | 2013-01-23 23:13 | 映画・ドラマ | Trackback | Comments(0)

余計なお世話

 楊逸さんが芥川賞をとったとき、
「いまなぜこのような近代小説を読まなければならないのか?」と、
ある評論家が書いていた。
 それまで結構好きだった評論家だったが、
その発言に脱力して以来、その人の評論はスルー。

 近代小説であろうが脱構築小説であろうが
読む主体は読者。

 評論家のおせっかいは不要。
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by kase551 | 2013-01-22 23:11 | | Trackback | Comments(0)