高野文子の作品を再読し、ふと思う。
彼女がかつてインタビューで述べた、
「『奥村さんのお茄子』も『黄色い本』や『美しき町』とテーマは同じなんですよ。
ただ作画の絵柄を変えたという、そういうところかな」
という、自作に関するコメントに対して、インタビュアーは次のように述べています。
インタビュアー:同じなんですか?実は?
読者はそれを汲み取らないといけないですか(笑)?
高野氏:すぐにはわからんけど、いずれわかるよ、歳を取れば(笑)。
そういうやつですよ(笑)。
なんとアホなインタビュアー^^;
で、熱烈なファンが多数いるにもかかわらず、この三作品の「共通テーマ」に
関する考察は、私の知る限り、皆無といっていい状態です。
絵柄がどうの、アングルがどうのというファンがいることは、
もちろんありがたいことでしょうが、「テーマ」を無視される作家は、
むなしい思いをすることが多いでしょう。
高野さんは大友克洋氏との対談において、
「(自分の説に賛同してくれるのは)青木雄二くらいかも」と述べています。
すなわち、「自分はあるテーマを抱いて、それを伝えようとしている。
それは青木雄二と同様だ」という意味なんですよね。
高野マンガ・青木マンガの愛読者である私は、「おぉ!そうや!」
と納得も得心もするのですが、多くの「高野ファン」には、「?」だったようです。
いかに高野文子の「テーマ」が無視されているかということですね。
拙ブログにおいて、『奥村さんのお茄子』『黄色い本』『美しき町』
の三大傑作における「共通テーマ」について、かつてつぶやいておりますので、
ご笑覧ください。
高野文子のテーマ(1)
高野文子のテーマ(2)