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高野文子の「テーマ」

 高野文子の作品を再読し、ふと思う。

 彼女がかつてインタビューで述べた、
「『奥村さんのお茄子』も『黄色い本』や『美しき町』とテーマは同じなんですよ。
ただ作画の絵柄を変えたという、そういうところかな」 
という、自作に関するコメントに対して、インタビュアーは次のように述べています。
  
 インタビュアー:同じなんですか?実は?
         読者はそれを汲み取らないといけないですか(笑)?

 高野氏:すぐにはわからんけど、いずれわかるよ、歳を取れば(笑)。
     そういうやつですよ(笑)。
 
 なんとアホなインタビュアー^^;

 で、熱烈なファンが多数いるにもかかわらず、この三作品の「共通テーマ」に
関する考察は、私の知る限り、皆無といっていい状態です。

 絵柄がどうの、アングルがどうのというファンがいることは、
もちろんありがたいことでしょうが、「テーマ」を無視される作家は、
むなしい思いをすることが多いでしょう。

 高野さんは大友克洋氏との対談において、
「(自分の説に賛同してくれるのは)青木雄二くらいかも」と述べています。
 すなわち、「自分はあるテーマを抱いて、それを伝えようとしている。
それは青木雄二と同様だ」という意味なんですよね。

 高野マンガ・青木マンガの愛読者である私は、「おぉ!そうや!」
と納得も得心もするのですが、多くの「高野ファン」には、「?」だったようです。

 いかに高野文子の「テーマ」が無視されているかということですね。
 
 拙ブログにおいて、『奥村さんのお茄子』『黄色い本』『美しき町』
の三大傑作における「共通テーマ」について、かつてつぶやいておりますので、
ご笑覧ください。 
 高野文子のテーマ(1)
 高野文子のテーマ(2)
by kase551 | 2008-05-15 23:59 | マンガ | Trackback | Comments(0)


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