「国」というものは、制度であり、社会集団であり、
一種の装置だと思います。
無責任アホぼん安倍晋三の「美しい国」という
セリフは、ホンマに愚かでみっともなかったですね。
美しい山河や美しい人は、どの時代にも、
どの国にも存在します。
たとえば、今も美しい富士山の遠景は、
江戸時代においても美しかったに違いありません。
しかし、制度・集団・装置である「国」が
「美しい」はずはなく、そのようなものを
「愛せよ」と命ずる人たちは、ほんまアホやと思います。
とはいえ、わたしは「イマジン」という歌にも
抵抗を感じます。
ジョン・レノン信者は、「イマジン」という歌の
「世界はひとつ」「国が存在しない」という歌詞が
お好きなようです。
「宗教もない」という歌詞を持つこの歌の作者が
一種の「教祖」になってしまっているのは皮肉ですね。
欲深い俗物の私は、この歌詞が好きではありません。
「世界がひとつ」になることも願いません。
気持ち悪いやん・・・
そして、仏教や仏像に強い関心を持つ私には、
「宗教もない」世界は、実につまらない世界です。
しかし、制度・集団・装置である「国」が
絶対に必要だとも思いません。
「国民」ではない「市民」を構成員とする
一種の「公共圏」が複数存在する世界というのが、
わたしが「想像してごらん」と言いたい世界です。