金時鐘(キム シジョン)さんの本を続けて読みました。
『「在日」のはざまで』(平凡社)
『わが生と詩』(岩波書店)
『なぜ書きつづけてきたか なぜ沈黙してきたか』(金石範氏との対談集 平凡社)
金時鐘さんについては、80年代後半に発刊された『在日文芸 民濤』という雑誌の
座談会や、その後読んだエッセイなどで、解放直後の済州4・3事件に関連して
「ヤミ船」で大阪に渡ってきたこと、かつて属していた組織(総連)から激しい攻撃を
受けてきたことなどは知っていましたが、上記の3冊を読み、彼の人間としての誠実さ、
矜持の強さに、改めてふれたような気がします。
『「在日」のはざまで』に収録されている、「クレメンタインの歌」は、「皇国少年」
だった金さんが、朝鮮人としての自分を取り戻す契機を描いており、父親への
鎮魂の思いが盛り込まれています。
『わが生と詩』における次のような講演記録は、植民地支配と言語、
ポストコロニアリズムという問題を、私たちにつきつけるとともに、
「ことば」の可能性を提示しています。
「向き合いを保たない限り、私という植民地日本語の所有者は、
こともなげに、もとの抒情に引き戻されてしまうのです。
だからといって同族の間からそういう上手い日本語をいけないと言う人もいません。
私だけが偏執狂みたいに思ってるんです(笑)。
あくせく身につけた せちがらい日本語の我執をどうすれば削ぎ落とせるか。
訥々しい日本語にあくまでも徹し、練達な日本語に狎れ合わない自分であること。
それが私の抱える私の日本語への、私の報復です。
私は日本に報復を遂げたいといつも思っています。
日本に狎れ合った自分への報復が、 行き着くところ日本語の間口を多少とも広げ、
日本語にない言語機能を私は持ち込めるかもしれません。
その時、私の報復は成し遂げられると思っています」(29-30頁)
そして、金石範(キム ソクポム)氏との対談集では、済州4・3事件の当事者で
あった金時鐘さんの生々しい体験が語られています。
当時の済州島の状況、大阪にたどり着くまでの過程、変り身の早い「大物」の卑劣さなど、
貴重な証言集でもあります。
なにかと批判されがちな韓国の盧武鉉大統領ですが、
大統領として済州道民に正式に謝罪したことは、高く評価すべきだと思います。
4・3事件によって日本に渡らざるを得なくなった人たちにも言及することができれば、
もっと高く評価されるでしょう。
ぜひ退任前に・・・