「愛」ということばと同様に、「現代詩」にも、
なんとなくなじめません。
「難解・自己満足・小賢しい・排他的」という
偏見を持ち続けていたのですが、ふとしたことから、
茨城のり子さん・新川和江さん・富岡多恵子さんの
詩集をそれぞれ購入し、斜め読みしたところ、
「あっ、ええやんか?」と感じる言葉遣いが少なくなく、
「食わず嫌いはあかんなぁ・・・・」と、反省しております。
特に富岡さんは、以前から新聞などで、エッセイを
目にしていたこともあり、「この人はええなぁ・・・」と
いう思いが強くなりつつあります。
エッセイ・書評集『難波ともあれことのよし葦』(筑摩書房)
に収録された「大阪のメロディ」に、教えられました。
わたしは「大阪で生まれた女」なので、そのタイトルの歌を覚えて
気持ちよく歌いたいと思っていたが、なかなか覚えられなかった。
(同書 74頁)
それは、漢語(いわゆる「中国語」)の「四声」(―、/、V、\)
のように、声調のアップダウンが激しい関西弁の歌詞と
メロディが調和していないからだと、富岡さんは述べています。
あぁ、そうだったんですね・・・・
あの歌に対して私が抱いている違和感を説明していただいたようです。
さすがことばのプロです・・・・
と、感心していたら、NHKの『あの歌がきこえる』という番組で、
「悲しい色やね」を取り上げていました。
この歌も同様ですね。
この歌にも違和感を抱き続けていましたが、
その理由が、富岡さんのおかげではっきりしました。
彼女の真似をして分析すれば・・・
「大阪の海は 悲しい色やね」という部分の「かなしい いろやね」は、
関西声調では「―(かな) ―(しい ) \(いろ) /(やね)」なんですね。
しかしメロディは、「/(かな) ―(しい )/(いろ) /(やね)」です。
これは、調和するはずないでぇ・・・・
『難波ともあれことのよし葦』には、「郷土愛」ということばは使われて
いませんが、大阪文化に対する富岡さんの「愛」がつまっています。
「愛」は、教育するもんとちゃいまっせ・・・・
(標準語訳:「愛」は、教育するものではないんですよ・・・・)
せやけど、「教育改革」を主張なさっている、次期首相には、
馬の耳に念仏かも知れまへんなぁ・・・・