「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、
この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」と、
日本国憲法では規定されています。
「米国から押し付けられた」この憲法における規定は、
「陛下は平和主義者であり、側近(特に東条英機)が悪かった」
という「物語」(これがウソであることは、歴史的事実【
昭和天皇の「平和への思い」?】からも明らかですが)にも支えられてきたようです。
1989年に死んだ先代天皇ヒロヒトに対して私は、
その人間としての無神経さ(戦争責任に関する質問に対して
「そういう文学的なことは・・・」と答えたり・・・・)に、嫌悪感
を抱いておりますが、今の天皇・明仁氏や皇太子をながめていると、
「大変そうやなぁ・・・」と感じることが少なくありません。
そのお連れ合い(妻)は、夫以上に大変なんですよねぇ・・・・
「男の子を産まねばならない」という重圧の中、現皇后・美智子さんは
二人の男児を得ましたが、皇太子と雅子さんは、その重圧に押しつぶされそうに
なっていたような気がします。
それが、雅子さんの「適応障害」(皇室に「適応」できないことが
「障害」なんですねぇ・・・・ コワイ!)と、皇太子の「問題発言」
に現れたのだと、私は解釈しています。
「女性天皇」「女系天皇」が認められたとしても、それはあくまでも、
「天皇家の女性がこどもを産む」ことが前提になっています。
「こどもを生まねばならない」という重圧を女性たち(とその連れ合い)
に加え続けるのは、もうやめにしたほうがいいのではないでしょうか?
もし日本国民に「国民統合の象徴」が必要ならば、
それは人間でなくてもいいのではないでしょうか?
それを生身の人間に担当させるのは、荷が重過ぎませんか?
私が考える「象徴天皇」は、富士山です。
「日本国民」のみならず、外国人からも愛される富士山の景観を
日本の象徴にするというアイディア、悪くはないと思うのですが・・・・
そして富士山を背景に、桜がはらはらと散る風景を「国旗」にして、
「国歌」を「あ~たまをくぅもおぉの う~えにだぁし~」か「さ~くぅ~らぁ
さ~くぅ~らぁ」のどちらかにするというのが、私の「天皇制・国旗・国歌
マニフェスト(政権公約)」です。