高校時代の恩師(K先生)の思い出を書きましょう。
高校2年で日本史を教わり、3年で担任となったK先生は、
じつに率直な人でした。
卒業式(1981年3月1日)を終えて、3月中旬に、大学の合格報告にうかがったときの、
「え、通ったん?」と驚いた表情は、いまでも忘れられません。
「センセー、オレが通るとは、思ってなかったでしょう?」とツッコむ私に、
「いや、通らんでもないと、思ってたけどなぁ・・・」と、しどろもどろに応える恩師。
ホンマ、ウソがつけない人です。
そして私と同様に「合格報告」に来ていたXさん(女)とZ君(男)と
私に対してK先生は、
「よし、合格祝いに、一杯飲みにいこか?」と、おっしゃいました。
級友2人は、少々とまどった様子でしたが、酒好きの親から「鍛えられていた」私は、
「はい、お願いします!」と即答し、4人は奈良駅前の居酒屋に行きました。
居酒屋での会話は、もう記憶にはありませんが、ひとつだけ鮮明に憶えていることがあります。
Xさん(女)におっしゃった、次のことばは、いまでも忘れておりません。
「大学入ったら、酒飲む機会もあるけど、自分の足が着かないカウンターで飲んだら、絶対にアカンで。
自分が歩いて帰れるかどうか。それを確認せーへんだら、アカンでぇ」
当時(1981年)は、「K先生、さすが、えぇことゆわはるなぁ」と感嘆しただけでしたが、
「足が着かない」「自分が歩いて帰れるかどうか」ということばって、すごく深い・・・・・
赤字国債発行で、「足が着かない」どころか「尻に火が付いている日本の財政」。
「帰れるかどうか」を配慮せずに、ひたすら「自衛隊の派遣」を叫ぶ政府。
K先生、やっぱりスゴイよ。