12月8日。太平洋戦争開始の日。
太宰治の「十二月八日」を再読する。
この作品に登場する「主人」は、「西太平洋って、どの辺だね? サンフランシスコかね?」
などと言いながら、「日本は、本当に大丈夫でしょうか」という妻からの問いに、
「大丈夫だから、やったんじゃないか。かならず勝ちます」と、答えている。
その「かならず勝ちます」ということばは、妻によって、「よそゆきの言葉」と表現されている。
そして妻は、「主人の言う事は、いつも嘘ばかりで、ちっともあてにならないけれど、
でも此のあらたまった言葉一つは、固く信じよう」と思う。
「かならず勝ちます」という「よそゆきの言葉」、
「主人の言う事は、いつも嘘ばかりで、ちっともあてにならないけれど」
という表現に、私は作者(太宰)の皮肉な視点を感じる。
そして、買い物に行った妻が、「こんなものにも、今月からは三円以上二割の税が附くという事、ちっとも知らなかった」 と思い、卒業と同時に入営する大学生たちに対して
「まあほんとに学生のお方も大変なのだ」などの感想を抱くことや、
新聞のページ数(「珍しく四ページだった」)、酒の配給(「隣組九軒で一升券六枚しか無い」)
などの描写からも、庶民の生活が圧迫され、若者たちが動員されていく様子がうかがえる。
さらに、「銭湯へ行く時には、道も明るかったのに、帰る時には、もう真っ暗だった。
燈火管制なのだ。もうこれは、演習でないのだ。心の異様に引きしまるのを覚える。
でも、これは少し暗すぎるのではあるまいか。こんな暗い道、今まで歩いた事がない」
という部分における、
「少し暗すぎるのではあるまいか。こんな暗い道、今まで歩いた事がない」という妻の思いは、
戦争の先行きを暗示しているようだ。
そして、その不安な気持ちを抱いている妻に「主人」は、
「お前たちには、信仰が無いから、こんな夜道にも難儀するのだ。
僕には、信仰があるから、夜道もなお白昼の如しだね。ついて来い」と、
「どんどん先に立って」歩いて行く。
このような「主人」の態度に、妻が「どこまで正気なのか」と
呆れるところで小説は終わる。
夏目漱石の「三四郎」における台詞を思い出した。
「滅びるね」