昨年8月にここでつぶやいた
「こうの史代氏への違和感」に、相次いでコメントが寄せられた。
わたしが抱いた違和感への「違和感コメント」だ。
わたしがこうの氏の『夕凪の街 桜の国』(双葉社)を読んで感じた違和感は、
①「スラム」描写などにおいて、朝鮮人の姿が全くうかがえないこと
②作品に先立って、「広島のある日本のあるこの世界を愛するすべての人へ」ということばを、
こうの氏が記していること
の二点に起因する。
ふ~ん・・・
「広島のある日本のあるこの世界」を愛せない人は、どうなるんやろ?
「広島さえなかったら・・・」「日本さえなかったら・・・」
という思いを抱き続けている在韓被爆者・在朝被爆者も存在するのではないか
と考える私には、この作者のことばは、きわめて「能天気」「無神経」
に感じられた。
「唯一の被爆国・日本」などというたわごとを、この作品が後押しするんと
ちゃうんかなぁ・・・
嫌やなぁ・・・・
わたしが抱いたこの違和感に、「違和感コメント」が寄せられた。
コメントへの返答にも書いたが、このようなコメントは、困るんよねぇ・・・
わたしはこうの史代氏に、「朝鮮人被爆者を描くべきだ」「能天気なことばを書くな」
と要求したり、提言しているのでは、決してない。
小林よしのり氏が率いていた『わしズム』に掲載されたこうの氏の作品などからも、
そのような要求をする自体が、それこそ「ないものねだり」であると、十分理解しているし
^^;、そもそも、何を描くのか描かないのかは、作者の自由やからね。
しかし、カネを出して買った読者であるわたしが、「ここが嫌やなぁ・・・」と、
拙宅(ブログ)で好き勝手につぶやくことは、誰にセロニアスモンク、いえ、文句を
つけられることもないんよねぇ・・・・
ましてわたしは、『夕凪の街 桜の国』を三冊購入し、二冊は友人に「参考文献」として
贈呈しとるんよねぇ。^^
価値観に関するやりとりは、対面して話し合っても、食い違うことのほうが多い。
いわんやネット上では・・・・
互いに時間と労力を浪費し、残るものは、むなしさ。^^;
わたしはそれを何回も経験している。
結論を言えば、こうの史代氏に抱いたわたしの違和感のような「個人の価値観」
に対するコメントは、これからは投稿者の同意を得ずに、即削除することもあるっちゅう
ことです。
わたしの著書
『コリアン三国誌』(新幹社)、共著
『「マンガ嫌韓流」のここがデタラメ』(コモンズ)をお買いになった方々が、出版社を通して「かせたに! お前に言いたいことがあるから出て来い!」と、コメントされる場合には、もちろん参上して、対応させていただきますが・・・・