1945年2月。
元首相、近衛文麿の「戦勝終結・講和」という「上奏」に対し、
裕仁天皇は、「もう一度戦果を挙げてからでないとむずかしいだろう」と、却下した。
そう、歴史に「もし」はありえないが、
もし、裕仁天皇が「もう一度戦果を」などと
アホなことをゆうてなかったら、
沖縄・広島・長崎の
悲劇も、そして、「中国東北棄民」(いわゆる「残留孤児)
の問題も、起こっていなかったのではないかと、私は考える。
今日(14日)、テレビ朝日系「徹子の部屋」のゲストは、
沖縄古典音楽家の照喜名 朝一(てるきな ちょういち)氏だった。
照喜名氏の体験を聴いた黒柳氏は、次のような内容の発言をした。
「1945年の2月に戦争をやめていたら、沖縄戦もなかったのに」
同感です。