脳死は「人の死」か?

 私は財布に、「臓器提供意思表示カード」(ドナーカード)
を入れている。

 そこには、「脳死の判定に従い、脳死後、移植のために、
心臓・肺・肝臓・腎臓・脾臓・小腸・眼球・その他すべての臓器を
提供する」という、私の意志が明記されている。

 長年の大量飲酒により、肝臓と脾臓には自信がないが^^;、
それ以外はそこそこの「品質」ではないかと自負しているので、
そのとき(私が脳死状態になったとき)には、ぜひ有効利用して
いただきたい。

 しかし、脳死を「人の死」とみなす「改正臓器移植法」(A案)には、
わたしは強い抵抗を感じる。

 私が脳死状態での臓器提供意思を表示しているのは、
あくまでも、自分個人の考えにもとづくものだ。

 すなわち、「まぁ、脳死状態から俺が回復することは、
まずないやろうから、それやったら『生きのいい新鮮な』
臓器を有効活用してもらいたいなぁ・・・・」という考えに
もとづくものだ。
 そう、俺は、脳死状態という「生きている」状態で、
自分の臓器を提供したいんよね。

  脳死は「人の死」ではない。

  脳死状態のこどもを世話する親は、
 「死んだこども」を世話しているのか?
  そんなわけないやろ。

  「唯脳論的」な考え方や物言いをつきつめれば、
 「知能指数」や「○○能力」で、人間を計るということに
 なるんとちゃうんかなぁ・・・・

  数年前に読んだ、帚木蓬生(ははきぎ ほうせい)著 
 『臓器農場』 (新潮文庫)の一節を、思い出した。

  「無脳症児も人間です」
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by kase551 | 2009-07-13 22:33 | 社会 | Trackback | Comments(2)
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Commented by 高木 宏明 at 2009-07-14 01:11 x
かせたにさん
お久しぶりです。
昔、僕らが小中学生の頃、「知能検査」っていうのがありましたよね。
僕、中学のとき、人の「知能」を決める人の知能指数ってどれぐらいなんやろと思ってました(笑)

あと、クレペリン検査ってありましたでしょ、あの数字をただ単にたしていくヤツ。
僕、最後を揃えてやりましたんや。時間があってもそれ以上書かずに、たし合わせた数字が上から下まで同じになるようにしてやったら、
検査結果が「・・・あなたは頭が良い・・・」みたいなコメントでした。
なんでそんなことわかるんや、だれが判定してるんやってあの頃思ってました(笑)
また、そのうち、いっしょにウイスキー飲みましょ。それまで肝臓大事にしなはれ!

>脳死状態という「生きている」状態で、
自分の臓器を提供したいんよね

大賛成で~す。そんな「死んだ」臓器を提供するなんてレシピエントに対して失礼ですよね。
Commented by kase551 at 2009-07-14 22:40
 高木さん、こんばんは。
 「知能検査」って、限られた時間内での要領のよさを
判定する「検査」だったように、私は記憶しています。
 
  「ふるさと検定」とか「日本人テスト」などに疑問を感じない
 人たちが、心底恐ろしいです。


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