太宰治生誕100年か。
わたしは彼の作品は、『晩年』『津軽』『走れメロス』『新ハムレット』 『もの思う葦『ろまん灯篭』『お伽草子』くらいしか読んでいないが、 文筆家としての彼の姿勢には、敬意を抱いている。 志賀直哉の卑怯さ、軽薄さとは、雲泥の差だ。 シンガポール陥落に諸手を挙げて喜び、 敗戦後はフランス語を「国語」にすべきなどと 主張した志賀直哉と、侵略物語である『桃太郎』を、戦中において題材にすることを避けた太宰治。 太宰治も批判しているが、志賀直哉の「小僧の神様」って、 「いやな話やなぁ」と、昔から感じている。
by kase551
| 2009-06-17 23:23
| 本
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Comments(17)
太宰は大学入りたてのときに読み
「似たような人(自分に)がいるもんや」 と思い、身の回りにあった太宰の小説は一気に読みました。 読みやすく、いろんな意味で気が楽になりました。 志賀直哉は「城之崎にて」しか読んでいず どこから面白くなるんやろと思っていたらおしまいまで面白くなく、終わってしまいました。 「小僧の神様」のどんなところがいやなのかとても知りたいです!
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kase551 at 2009-06-18 23:18
太宰治は「小僧の神様」について、次のように述べています。
「小僧の神様」という短篇があるようだが、その貧しき者への残酷さに自身気がついているだろうかどうか。ひとにものを食わせるというのは、電車でひとに席を譲る以上に、苦痛なものである。何が神様だ。その神経は、まるで新興成金そっくりではないか。 (『もの思う葦』収録「如是我聞」より) わたしはこの小説における「ひとにものを食わせる」ことには不快感を抱きません。しかし、「ひとにものを食わせる」ことにともなう「変に淋しい、いやな気持ち」を抱いたA氏の心情を理解できない「『善良な』妻」という構図に、いやな気持ちにさせられます。 そして、徹頭徹尾、小僧=「仙吉」を上から目線で眺めて描いている 作者の視点が、好かんのですよ。 これは、前述の「貧しき者への残酷さ」という、太宰治による指摘と通じます。
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kase551 at 2009-06-18 23:20
そして、さらに不愉快になるのは、最後に作者が登場して、次のように述べるところです。
作者は此処で筆を擱く事にする。実は小僧が「あの客」の本体を確かめたい欲求から、 (中略)。 ――とこういう風に書こうと思った。しかしそう書く事は小僧に対し少し惨酷な気がして来た。 それ故作者は前の所で擱筆する事にした。 あんた、その「惨酷な」ことを書いておいて、「前の所で擱筆することにした」やて? あ~、やだやだ。 同じように最後に作者が登場するにしても、太宰治『お伽草子』の「カチカチ山」はこれとは雲泥の差です。 志賀直哉のような「超・上から目線^^;」ではなく、自身の男女関係を自嘲するような、冷めた、そして苦いユーモアをこめた「作者登場」。 「青空文庫」(http://www.aozora.gr.jp/cards/000035/card307.html)で読めますので、ぜひ、「小僧の神様」と比較してください。 ^^
あ~ぁ、かせたにさんが大嫌いな「上から目線」なんですね。
青空文庫は今晩にでも読んで見ます。 太宰はかせたにさんと同じような感性を持ってはったようですね。 如是我聞の一文は太宰が志賀の感性を嫌っていたのがよくわかります。
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健龍庵
at 2009-08-26 12:49
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かせたに氏は太宰の『十二月八日』という作品はご存知ですか? ご存じないから、このようなウィキの引き写しの様なエントリーを書かれるのでしょうね。
『十二月八日』は日米開戦当日の市中の様子を描いた作品ですが、立派な戦争協力作品になっているのです。かせたに氏はぜひこの太宰の戦争協力作品を一読されるべきですよ。 かせたに氏は志賀の『シンガポール陥落』はお読みになったことはあるのですか?まさかお読みになっておらずに、このようなエントリーはされないですよね。(しかし青空文庫には志賀の作品が無いですからね(笑)) 太宰の『十二月八日』と志賀の『シンガポール陥落』を読み比べればどちらが悪質かは一目瞭然なのですが・・・。
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健龍庵
at 2009-08-26 12:50
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志賀が戦後、『国語をフランス語にしたらよい』と発言したのは、占領軍に媚びたものではありません。親米を示すなら、もともと反米感情の強いフランスの言葉を採用しようとは言わないはずです。
これは、時の内閣により、漢字及び仮名遣いの改変の指導が行われ、 それに従った朝日新聞が、志賀の文章を作者の了解を得ず、漢字および仮名遣い、また内容の一部まで勝手に変更して掲載したことに対して、これまでの慣習を無視した国語の改変なら、いっそ外国語にしたらどうだろう。という主旨のものです。 志賀の『シンガポール陥落』という非常に短い一文を戦後一躍有名にしたのは太宰の『如是我聞』ですが、私はそこに太宰の別の意図を感じています。 志賀は戦後刊行された全集に『シンガポール陥落』を入れないように周囲から薦められるのですが、それを拒否して入れています。また志賀は昭和十六年から二十年の戦争期間中、断筆しています。
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健龍庵
at 2009-08-26 12:51
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太宰が立派で志賀が卑怯で軽薄だなんて、作品、資料、評伝をきちんと読めば、“間違い”ないし“悪質な宣伝”であることが判るのですが。全く最近のネット上でのウィキを盲信し引き写すような風潮には困ったものです。
太宰が『如是我聞』で批判していたのは、なにも志賀ばかりではありません。半可通の読者も批判しているのですがねぇ。
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kase551 at 2009-08-26 19:03
この「健龍庵」さんのようなコメントも、非常に迷惑なんですよねぇ。
はじめから私にイチャモンをつけることしか考えていないから、 「ご存じないから」「お読みになっておらずに」とか、上から見下すような 皮肉な物言いなんですよね。 このような無礼で不快なコメントも、即削除するのが私のやり方ですが、一回だけお応えいたします。 感謝してください。^^
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kase551 at 2009-08-26 19:05
「健龍庵」さんのご期待に添えなくて残念ですが^^;、私は太宰の「十二月八日」も、 志賀の「シンガポール陥落」も読んでおります。
私が記事で紹介した『晩年』『津軽』『走れメロス』『新ハムレット』 『もの思う葦』『ろまん灯篭』『お伽草子』は、すべて新潮文庫のタイトルなので、 「半可通の読者」でない、「健龍庵」さんならば、「十二月八日」が 『ろまん灯篭』に収録されていることくらい、ご存知だと思うのですが・・・ あっ、「灯篭」ではなく「燈篭」ですね。変換ミスでした。
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kase551 at 2009-08-26 19:06
それはさておき。
「健龍庵」さんが、「かせたに氏はぜひこの太宰の戦争協力作品を一読されるべきですよ」と、えらそうに示した「十二月八日」を、私は何度も読み返しております(ほんま、余計なお世話)。 で、この作品を私は「健龍庵」さんのように、「戦争協力作品」と片付けることはできません。 この作品に登場する「主人」は、「西太平洋って、どの辺だね? サンフランシスコかね?」 などと言いながら、妻の「日本は、本当に大丈夫でしょうか」という問いに、「大丈夫だから、やったんじゃないか。かならず勝ちます」と、答えています。 その「かならず勝ちます」ということばは、「よそゆきの言葉」と表現されています。 そして、その「主人」のことばを聞いた妻は、「主人の言う事は、いつも嘘ばかりで、ちっともあてにならないけれど、でも此のあらたまった言葉一つは、固く信じようと思った」と考えます。 「かならず勝ちます」という「よそゆきの言葉」、「主人の言う事は、いつも嘘ばかりで、ちっともあてにならないけれど」に、私は作者の皮肉な視線を感じます。
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kase551 at 2009-08-26 19:07
そして、買い物に行った妻が、「こんなものにも、今月からは三円以上二割の税が附くという事、ちっとも知らなかった」と思う箇所や、卒業と同時に入営する大学生たちに対する、「まあほんとに学生のお方も大変なのだ」などの感慨からも、私はこの作品を、単なる「戦争協力作品」としては、読めません。
また、新聞のページ数(「珍しく四ページだった」)や、酒の配給(「隣組九軒で一升券六枚しか無い」) などの描写からも、物資窮乏の様子がうかがえます。
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kase551 at 2009-08-26 19:08
小説の終盤、「銭湯へ行く時には、道も明るかったのに、帰る時には、もう真っ暗だった。 燈火管制なのだ。もうこれは、演習でないのだ。心の異様に引きしまるのを覚える。でも、これは少し暗すぎるのではあるまいか。こんな暗い道、今まで歩いた事がない」における、 「少し暗すぎるのではあるまいか。こんな暗い道、今まで歩いた事がない」という妻の思いは、この戦争の先行きを暗示しているようです。
そして、その不安な気持ちを抱いている妻に「主人」は、 「お前たちには、信仰が無いから、こんな夜道にも難儀するのだ。僕には、信仰があるから、夜道もなお白昼の如しだね。ついて来い」 と、「どんどん先に立って」歩いていきます。 妻はこのような「主人」に、「どこまで正気なのか」とあきれます。 「この人はおかしいのではないか?」と、あきれているんですね。
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kase551 at 2009-08-26 19:09
これらの点から、私は「十二月八日」を、「戦争協力作品」と切り捨てることができません。
一方、「シンガポール陥落」は、小説ではなく志賀直哉の生の言葉です。 「一億一心は期せずして実現した」「天に見はなされた不遜なる米英」などの志賀のことばは、やはり「軽薄」だと思います。 そして、志賀の「日本語廃止論」は、私も「占領軍に媚びたもの」「親米」などとは思っておりませんが、それがどのような意図に基づくものであったとしても、「シンガポール陥落」のような文章を日本語で発表しておいて、敗戦後はそれを省みることもなく「日本語廃止」を主張するのは、軽薄で卑怯だと言わざるを得ません。 私は太宰がまったく戦争協力をしなかったと言っているのではありません。 しかし、能天気な志賀の「シンガポール陥落」と皮肉な味わいの太宰の「十二月八日」をくらべると、また、志賀が断筆している間に、太宰が傑作短編連作『お伽草子』を書き、そのなかで「桃太郎」について韜晦的なコメントをしていることなどから、文筆家として太宰のほうが、はるかに立派だと思うのです。
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kase551 at 2009-08-26 19:10
まあ 「健龍庵」さんは、
「太宰の『十二月八日』と志賀の『シンガポール陥落』を読み比べればどちらが悪質かは一目瞭然なのですが・・・」 というお考えですし、「かせたに氏は太宰の『十二月八日』という作品はご存知ですか? ご存じないから、このようなウィキの引き写しの様なエントリーを書かれるのでしょうね」などと、はじめから悪意を持ってイチャモンをつけようとする人ですから、私の考えを理解するつもりもないでしょう。 「ウィキの引き写し」 「全く最近のネット上でのウィキを盲信し引き写すような風潮には困ったものです」などと、 一方的に決め付けて、意味不明のことばで見下す態度も不快ですので、もうコメントしないでくださいね。^^ 私に、コメント拒否・削除などの自衛手段を取らせないでくださいね。^^ あ~、しんど。 めっちゃ時間と手間がかかったよ。^^;
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健龍庵
at 2009-08-27 10:57
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丁寧なお返事ありがとうございました。
私は、太宰の作品は筑摩書房の太宰治全集で読んでいますので、新潮文庫の編集がどうであるかは存じ上げません。 『十二月八日』・・・私が問題にしている部分は、別な件(くだり)にあります。また私は太宰が妻に仮託して書いた姿勢を問題にしています。そんな形で書くくらいなら初めから書かなければ良かったと思うのです。 『如是我聞』がきちんとした評論なのであれば、太宰は志賀の『シンガポール陥落』と共に自作の『十二月八日』についても言及すべきだったと思います。 今後コメント致しません。読了後削除して頂いて構いません。ご返信も無用です。
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一読者
at 2009-08-28 11:28
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はじめてお邪魔させて頂きます。
太宰氏については、彼の戦後の行動もあまり褒められたものではないようです。 “12月8日”という作品は昭和17年2月号の“婦人公論”に発表され、掲載の初版本は同年出版の“女性”ですが、以後はどの創作集にも再録されませんでした。 また戦中に書かれた、“津軽”や内閣情報局の要請で書いた“惜別”は、戦後再販された際には、戦中版の軍国主義的表現がほとんど削除されて出版されています。 “惜別”にいたっては原稿用紙30枚分も削除したそうで、裏を返せば、それだけ軍国主義的表現が書かれていたということでしょうね。 太宰氏も戦後はある意味変節していたのではないでしょうか。
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kase551 at 2009-08-28 22:22
「一読者」さん、太宰治に関する情報、ありがとうございます。
太宰は「返事」という作品のなかで、 「私たちは程度の差はあっても、この戦争に於いて日本に味方をしました」 「はっきり言ったっていいんじゃないかしら。私たちはこの大戦争に於いて、日本に味方した。私たちは日本を愛している、と」 と書いています。 このように、自らの戦争協力を認めている太宰が削除した原稿用紙30枚分に書かれていた内容に、私は非常に興味をひかれます。 もしその具体的内容についてご存知ならば、ぜひご教授ください。
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