私が大学に通えたのは、親が学費を出し続けてくれたからだ。
一年生の後期の学費だけは、夏休みにバイトをして稼いだ金で
支払ったが、あとは甘えっぱなしだった。
小遣いをもらうことなどは一切なかったが、学費は全額親負担・・・・
大学を出て就職し、1985年から約5年半、ニッカウヰスキーでの
サラリーマン生活を大過なく過ごすことができたのは、
お得意様に可愛がっていただいたことと、先輩社員や上司に恵まれたおかげだ。
そして、80年代後半のバブル景気は、営業マンとしての私にとって、
大きな追い風だった。
月末に酒販店の店主に、「兄さん、スーパー(ニッカ)あと○○ケース
なんとかお願いします!」と頼み込み、卸店の担当者に、
「△△酒店の兄さんが、○○ケース来月はじめに入れてくれるから、
スーパー□□ケース、入れても大丈夫ですよ」などと、多少の無理を
聞いてもらえたのは、80年代後半なればこそだったと、今私は思う。
依願退職(退職を決めてからは、半年前には上司に通知し、できるだけ
支障のないように努めたつもりだ)後、1990年8月から2002年3月まで、
私は韓国・中国で生活していたため、「失われた10年」については
コメントする資格がない。
しかし、親の金で大学に通わせてもらって卒業し、
就職してからはバブル景気を体験した人間が、今の
不況に苦しむ人たちに
「あまえるな」などとほざくのは、どうにも納得できない。
恥を知れ。