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恥を知れ

  私が大学に通えたのは、親が学費を出し続けてくれたからだ。
 
  一年生の後期の学費だけは、夏休みにバイトをして稼いだ金で
 支払ったが、あとは甘えっぱなしだった。 
  小遣いをもらうことなどは一切なかったが、学費は全額親負担・・・・
 
   大学を出て就職し、1985年から約5年半、ニッカウヰスキーでの
  サラリーマン生活を大過なく過ごすことができたのは、
  お得意様に可愛がっていただいたことと、先輩社員や上司に恵まれたおかげだ。 
   
   そして、80年代後半のバブル景気は、営業マンとしての私にとって、
  大きな追い風だった。

   月末に酒販店の店主に、「兄さん、スーパー(ニッカ)あと○○ケース
  なんとかお願いします!」と頼み込み、卸店の担当者に、
  「△△酒店の兄さんが、○○ケース来月はじめに入れてくれるから、
  スーパー□□ケース、入れても大丈夫ですよ」などと、多少の無理を
  聞いてもらえたのは、80年代後半なればこそだったと、今私は思う。
 
   依願退職(退職を決めてからは、半年前には上司に通知し、できるだけ
  支障のないように努めたつもりだ)後、1990年8月から2002年3月まで、
  私は韓国・中国で生活していたため、「失われた10年」については
  コメントする資格がない。

   しかし、親の金で大学に通わせてもらって卒業し、
  就職してからはバブル景気を体験した人間が、今の
  不況に苦しむ人たちに「あまえるな」などとほざくのは、どうにも納得できない。
   
    恥を知れ。 

  
by kase551 | 2009-03-02 22:45 | 社会 | Trackback | Comments(2)
Commented by ごろごろ at 2009-03-06 11:56 x
同感です。
景気のよい時代の潮流にうまくのり
らく~に人生を生きてきた人間が、
このしんどい時代で苦しんでいる人達に投げつける言葉ではありません。
Commented by kase551 at 2009-03-06 19:42
 親の金で大学に通うことができ、博報堂でコピーライターとして勤務してきた「中洲次郎」氏は、もちろんサラリーマンとして努力し、つらい思いもしてきたことと思います。
 しかし、1970年代・80年代をサラリーマンとして過ごして定年を迎えた人間が、現在苦しんでいる人たちに、なぜ「あまえるな」などと言えるのか、ホンマにムカツクんですよねぇ・・・

 「戦後のことを思えば」やて、ホンマ、笑止千万ですよね。
 実際に戦後の苦労を体験した彼の母親が言うなら、まだ理解できますが・・・・

 「なんでおのれにそんなことをえらそうにゆわれなあかんのじゃ、クソボケ!」と言いたくなりますね。^^;


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