購読している『西日本新聞』に、次のようなコラムが掲載された。
末尾の「あまえるな」に、「この人、誰に『あまえるな』ってゆうとるんかなぁ?」と
違和感を抱き、同紙に投書することにした。
コラム筆者の「中洲次郎」氏は、私の知る限りでは、
1948年生まれで、小学生のころから塾に通い豪華な弁当を持参し、
親元からの仕送りを受けて東京の私立大に通い、
卒業後は、右肩上がりの経済状況下でサラリーマン生活を続けてきた。
めでたく定年退職され、年金の心配も無用の彼に、
「団塊世代論」をふっかけるつもりはない。
せやけど、なんでこの人が、「あまえるな」などと
えらそうに言えるんやろ?
明日、下記の原稿を投函する。
中洲次郎氏への違和感
本紙二月二四日「風車」の「『百年に一度』だと」に、強い違和感を抱いた。
筆者の中洲次郎氏は「百年に一度の大不況」という表現に、「バカ云ってるんじゃない、
六十余年前に比ぶれば、ずっと楽勝である」と憤っている。
氏は、戦後中国から郷里に引き揚げて来られたご両親の生活が、
「只ひもじさとの戦い」だったと紹介し、「戦後のことを思えば、今はまだ裕福の極み、
あまえるな」と結んでいる。
私が知る限り、いわゆる「団塊世代」の中洲次郎氏は、親元からの仕送りを受けながら
東京の私立大学を卒業後、右肩上がりの経済状況下で、サラリーマン生活を送ってきた。
氏のご両親の労苦には心から敬意を表するが、自らの直接体験でない「六十余年前」をふりかざして
「あまえるな」とは、いかがなものか。
「百年に一度の大不況」を口実に、モノのように使い捨てられ、生活保護などの
セーフティネットからも外される人たちは、氏の「あまえるな」に、次のように応えるだろう。
あなたがえらそうに言うな。
朝刊にも夕刊にも連載を持つ同氏への批判投稿は、ボツにされる公算が強いが、
昨年4月のように、
「紙上対決」をさせてほしいなぁ・・・・